今朝の毎日新聞(大分版)です。寛流大分弁俳句に老骨の駄句が掲載されました。ペンネーム「高並とらみ」が私です。ワクドは蛙。イアリは蟻です。
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内子座は、木蝋や生糸などの生産で栄えた大正5(1916)年、芸術・芸能 を愛好する人々が建てた劇場です。木造2階建て瓦葺き入母屋作りで、回り舞台や花道、枡席などを整えた都市型劇場で芝居などが盛んに上映されました。その後映画館などに改装、最後は老朽化のため取り壊されるところ、町並保存事業に連動し昭和58(1983)年~60年(1985)年に復原、同年10月劇場として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。2016年には創建100周年を迎えるため、記念企画やシンポジウムなどの取り組みも始まっています。(内子町HPより抜粋)
内子座沿革
正面入り口付近と外観
花道から舞台・舞台袖
舞台から見た枡席
写真右 花道 花道の上の札あたりが すっぽん(せり)です。
写真左が桟敷席 右側が桝席
舞台の上の回り舞台 舞台袖
奈落の底 回り舞台 せり
花道のすっぽん (せり)
桟敷席
2階へ階段 2階廊下
2回客席
内子町の歴史的産品と言えば和蝋燭があります、それを現代に伝えるお店大森和蝋燭屋を見せていただきました、店内では、和蝋燭の火の調整や、消し方等々詳しく教えていただきました、洋蝋燭が主流の現在和蝋燭の持つパワーに感動いたしました。
大森和蝋燭屋
江戸時代から続く、和蝋燭屋
およそ、45度に溶かした蝋を、素手で何度も何度もすくい上げて作るのが
内子の和蝋燭。
内子町は、江戸時代から明治にかけて、木蝋と和紙で栄えた町でした。
こちらの大森和蝋燭屋さんも200年の伝統を守り続けています。
1本、1本、手間をかけ、丹精込めて作られた内子の蝋燭は、煤が出にくく、
長持ちすると言われています。
夜の明かりを、蝋燭に頼っていた時代が日本にもありました。
玄関を入って蝋燭の売り場があり、その奥には和蝋燭製造の展示がされていました。
蝋燭の芯となる繭玉を紡ぐ工程や、ハゼ実から抽出したの木蝋など展示されています。
森文醸造所と森文第2醤油醸造蔵
森文醸造所と
森文第2醤油醸造蔵 この前を通ると昔々の田舎の醤油屋さんのにおいが・・・・・
醤油のにおいっていいですね、思わず写真撮ってました。